却下できる人が承認することに意味がある - lacolaco
"何かを保障するためのプロセス"としてのレビューを機能させることを目的とするなら、そこには却下の可能性があることが必要条件だ。
確かに。「却下する」という選択肢がないのであれば、機能不全だと思う。
「承認しても大丈夫だ」という確信を得るということは、裏返せば「却下すべき理由がない」という確信を得ることである。 その確信が得られるのは「却下すべき理由を探したが見つからなかった」ときである。
つまりレビュアーに承認を求めることは、「却下すべき理由を探す」ことを求めているのである。 そして「却下すべき理由を探す」ということは、その事柄に対して批判的・悲観的な立場に立つことと同じである。
そうそう、これ実感がある
たとえば専門家のような権威勾配のあるレビュアーからの批判的な意見は、レビュイーにとってプレッシャーとなることは容易に想像できる。
レビューするときは「考慮漏れがないか?」とか「期待通りに動作するのか?」という観点で見ている
批判的な立場に立っているので、意図せず相手にプレッシャーを与えてしまっていないか不安になるんだよなぁ
だが、専門家も専門家であるからこそ自身の承認の重さを自覚しているために、いっそう批判的立場を緩めないように気を張っている。 そのレビューが保障のプロセスであるため、専門家が専門家であるために、そこに「お手柔らかに」は通用しないのである。
本当にそう...
レビューを依頼するときには「承認をもらいにいく」(支持してほしい)のではなく、自分とは違う視点から「検証してもらいにいく」(見落としを見つけてほしい)というマインドでいること
まさにそう...
レビュアー側も「保障プロセスとして機能するレビュー」にするために批判的立場からコメントすることをあらかじめエクスキューズしておくことで、不都合な衝突を起こすリスクを減らすことはできるだろう
この記事を共有する、ということもその手段の一つだな